「褒めて育てる」の危険性

ここ最近は、上司向けの研修登壇が続いております。
先日も、「部下のキャリア支援」というテーマで課長向けの研修をしておりました。

その合間、昨年4月に新入社員研修を担当した某企業様での新人フォロー研修に登壇してまいりました。
そちらのお客様は、OJTトレーナー向けの研修も担当させていただいていますので、両方(新人とトレーナー)からのお話を聴くことができるゆえ、私から見える景色は結構広がります。

こちらの企業様に限らないのですが、そうやって両者からお話をお聴きして思うのは、

 

お互い気を遣いすぎ

 

ってこと。
新人側でしたら、「先輩の時間を奪ってしまうのではないか」と心配で聴きたいことが聴けない。
「先輩に見限られてしまう、こんなこともわからないのか、と思われたら恥ずかしい」という理由で、聴けない、という方もいます。

トレーナー側は、
「今ドキの若い人は、褒めて伸ばさないといけないから厳しく注意ができない」
「自分たちとは育った環境が違うから」「メンタル弱そうなので扱いが困る」
などなど、関わり方に困っていらっしゃるようです。

 

先日も、新人さんから研修後に個人的な相談がありました。
内容を聴くと、かなり甘いことを仰っていたので、「仕事を甘く観ているから、そうなるんじゃないの?」とストレートに指摘してみました。
ご本人は、即座に「あー、そうですね」と答えるので、「本当に腑に落ちて、『そうですね』って仰っているのかしら。表面的にとらえているのだったら、変わらないと思うけど」と返しました。
「・・・・」と黙り込む様子に、「厳しいこと言っているかもしれないけど、ごめんなさいね」と伝えると「いえ、その通りだなと思うし、言ってほしくて質問にきているので」と、先ほど即答した時より、顔つきや声音が変わったお姿で向き合っていました。

あまり、言われないんですよね、最近は。厳しいこと。

 

褒めること、承認すること。

育成の現場では、とても大切な関わりです。私も、育成する側の方々には、その重要性をお伝えします。
けれども、「褒める」だけで育ってきた若者たちを観ていると、ある特徴があるんです。それは、

 

自己肯定感が低い

 

ってこと。
自己肯定感とは、「どんな自分でもOKだ」「私は存在していい、ただ生きているだけで価値のある存在だ」と思える感覚のことです。
凸凹のある自分をそのまま受け入れる、自己受容です。

ところが、良いところばかりに光を当てると、「常に良い自分でなくては受け入れてもらえない」という考えを育ててしまいます。
悪いところ、ダメなところはバレてはいけません。
だから、必死で評価されるようにふるまいます。評価をもらえば一時ホッとするかもしれませんが、それを永遠に続けなくてはなりません。
かなりストレスフルな綱渡りでしょう。

 

「ゆるブラック企業」などという言葉がありますが、褒められすぎても成長できません。
信頼関係と、相手への愛情に基づいた、時には厳しいフィードバックをすることも必要なのです。