2024年入社の新人考。~今後開発すべき点

5月も半ばを過ぎましたが、今年度の新人研修がすべて終わりましたので、あらためて、総括してみます。
なお今年は4~5月で、のべ500人位の新人さんとご一緒しました。
お邪魔した企業様の業種はさまざま、受講者の年齢層も高卒~大学院卒までとさまざまです。

多くの新人さんが真面目で素直、人当たりが良く、熱心に研修を受けていました。
とはいえ、環境変化はストレスになるもの。
「疲れているでしょ?」「そろそろ集中できなくなってきたんじゃないですか?」と投げかけると、これまた素直に「はい!」と本音を教えてくれたりします。
そりゃそうよね。正直なのは好きですよ。

ところで私は毎年新人研修登壇にあたり、「未来を担う新人さんたちが、ご自身のキャリアを充実させ、周囲の方々と良い仕事を生み出していけるようなお手伝いができれば」と思っています。
その観点で考えた際、今年度、それからここ数年感じている傾向で気になっていることを挙げてみます。

顕著なのは、「対人系の力が弱くなっている」こと。

今年度の大卒の場合、大学生活のほぼすべてがコロナ禍だったため、チームで仕事をすることや、他者の様子を観察してライブでコミュニケーションスタイルを変えていくなどの対人に関する能力が磨かれていない方が少なくない状態でした。
(たとえば、チームで取り組むワークをしてもらっても、個人ワークになりがちだったり、シミュレーションワークで顧客訪問をしてもらうと、顧客の反応に合わせた対応ができないだけでなく、そもそも顧客との双方向のやりとり・対話ではなく一方的な発表になりがちです)

仕事が個に閉じてしまう。

他者との相乗効果で自分を超える仕事を生み出していくには、足を引っ張ることとなるでしょう。
ただし、彼・彼女たち個人の問題というよりは、社会環境が要因である面も少なくないため、訓練する場を意図して設け、慣れさせていくことが必要です。人は、場がなければ学べません。場をつくってそこで訓練していけばいいだけです。

そうそう。この、「生モノの対話力」が衰えている原因について。
今年度ではないですが、新人さんと話していて「なるほど!」と思ったのが、「就活のオンライン面接の影響」です。

「ライブでの対話は苦手です……用意すれば話せるんですが。採用面接はオンラインばかりだったので、スクリプトのファイルを画面上で開いた状態で面接受けてましたので」

とのこと。
生モノの対話は、スクリプト無いですものね。

他、よく言われる話ですが、SNSでの簡略化されたコミュニケーションスタイルの影響ももちろんあるでしょう。


日本語力がヤバい(笑)かも。

日本語力低下のシンボル?かもしれない、「ヤバい」という言葉を敢えて使ってみました。
いやいや、本来の意味の「ヤバい」なんですけどね。

まず、語彙が少ない。
言いたいことがあるようなのですが、それを表現する適切な言葉が見つからないようで、「あー、えーっと、うーん……なんて言えばいいんですかね…」となってしまいます。
オフィシャルに通じる言葉遣いでコミュニケーションを取る機会が少ないのかもしれません。
似た者同士で集まると、身内だけで通じる言語で事足りますものね。

それに加えて、言い回しも貧困です。
なんとなくズレた感じに違和感を持った、聞き手である私が、「もしかしてこういうことがおっしゃりたかったですか?」と言い換えをすると「あ、そうです!そうです!」というお返事。
語彙が選べないのだけではなく、文を構築する力も弱まっています。

そのうえで、文脈理解が弱い。
文脈理解とは、前後の関係性やお相手と自身が置かれている立場、現在の状況などを加味して適切なコミュニケーションを取ることを指します。

たとえば、1週間前にお会いしたクライアントと本日お会いするのであれば、冒頭に「先日はお忙しい中お時間いただきましてありがとうございました」など、前回との接続を意味する投げかけから話し始めることはビジネスパーソンなら日常的に行っているでしょう。
こういう、「人間関係は時間の積み重ねで作られる」という感覚がどうも薄いようです。
点でしか、コミュニケーションが取れない。

また、先輩の出した企画に「これ、僕なら買わないですねえ~」と言ってしまう。
いいんですよ、意見を言うのは。ぜひぜひみんなで意見を出し合いましょう。
ただ、お相手がどんな気持ちで受け取るかを踏まえた上での表現を工夫するとか、自分はまだ何もできていない立場なのだから見えてない苦労や工夫があるかもしれないという想像力を働かせることは必要です。
どの企業様でも新人研修で叩き込まれることのひとつが、「相手視点」「他者視点」ですが、年々、これが弱くなっているようです。

起点を推察すると、入社前の、教育現場にさかのぼります。
個性を大切にする教育には私はとても希望を感じていて、一人ひとりが個性を大切に生きることは心から応援したいのですが、そのしわ寄せとして「他者理解」の力が耕される機会が少ないのかもしれません。
多様性の時代は、個人個人が個性を発揮すると同時に、その個性が相乗効果を発揮すべく交流していく必要があります。
(その方が面白い世界になる!)
個性を大事にするだけでは分断が促進されるだけです。
講師仲間の間では「プロ意識の欠如が著しい」という話題も出ています。
顧客のニーズに応えることが仕事だとすると、個性を大事にする「だけ」では、プロの仕事ができないのです。

 

個性を大切にするあまり、自信が持てなくなっている!?

OJTトレーナー(新人指導員)研修も多数させていただいていますので、教育担当の方々からのお声もよく聞いています。
ここ最近聞かれるのが、
「うちの新人は自信満々にみえるし、仕事もがんばっているけれど、『自信がない』って言うんですよね、なんででしょう?」
という疑問。

たくさんの若手と接している私は、よーくわかります。
親子関係が「友達親子」になり、教育現場でもモンスターペアレンツを恐れるあまり厳しい指導がされなくなり。
学校によっては、「教室に行けなくてもOK」と、誰もに開放されている部屋を設けているようで、無理をさせない環境=現代です。
(教育学部出身なので、先生の友人がまあまあいまして、現場の苦悩はよく聞いているところ)

もちろん、封建的な家族が良いとか、理不尽な教育がいいとか、無理にでも教室に行け!とは思っていません。
(時代は確実に良い方へ変化している、というのが私の見ている景色です)

が、片側が高まると片側が落ちこむもの。
上記により、「何かができるから/がんばっているから/いい子だから褒められる=愛される」という規範を無意識に子供が持ってしまうこと、「怒られたら終わりだ(全否定されている)」と感じる土台ができてしまっていること、「苦手なことや嫌なことは無理せず避ければいい」という行動様式が身についてしまうことなどが起きているように見受けらえます。
実際、人事の方に注意を受けた新人が「怒られるのは人生で初めてです。親にも怒られたことがないので…」とかなり凹んでおられました。
良かれと思ってやったことが、社会に出たら仇になる。
そんな風景をたくさん見ています。

自信とは、何かを乗り越えた体験、ストレスに打ち勝って何かを成し遂げる経験から育まれます。
無償の愛情を注がれると、自己肯定感が育まれ、「何ができても/できなくても、自分は大丈夫だ」という安心感が持てます。

近年の若手には、この体験が不足しているように見受けられます。
限られた日数しか関われない私ですが、ここに少しでも良い影響が与えられるようなアプローチを心がけているのです。


新人さんから学ぶことも多々ある。

ここまで懸念点をたくさん書きましたが、大前提、毎年新人研修で若い方とご一緒するのは、私にとって本当にありがたい機会です。
間違いなく、時代を牽引するのは彼・彼女たちです。
今の風を生々しく感じさせてくれるこの機会は、得難いものだといつも思っています。

時代は良い方向へ変化している。と先述しました。
彼・彼女たちの姿を見ていて、そう思います。
他者への配慮、社会への優しさ、柔和な触れ合い方。
理不尽を理不尽と言える正直さ。無駄を省く姿勢。
私の若い時代には見られなかった風景がそこにはあります。
世界が平和に、優しく、より良くなっていくのに必要なことが、若者たちの姿に映っていることも忘れてはならないと思っています。

2024年入社の皆さま。
ビジネスを通じて良い社会を創っていく仲間として、互いに磨きあいましょうね!

 

追伸/今年の新人さんは「セレクト上手な新NISAタイプ」だそうですよ。へええ
https://www.e-sanro.net/freshers/?page_id=873